2018.05.25

≪挨拶と返事≫

世間を騒がせている日大アメリカンフットボール部の報道を見ていてふと思い浮かんだことがある。

 

長年プロ野球のコーチを務めている私の古くからの友人は、「プロ野球選手になるためにはどうすればいいですか?」と聞かれるといつも「挨拶がきちんとできること」と答えている。また以前見たテレビ番組の中で、現在は引退している当時パリーグを代表していた打者も、少年野球教室での子供からの同じような質問に「まず挨拶をきちんすること」と答えていた。

 

野球は武道にくらべると、どちらかと言えば精神性よりも勝敗に重きを置いていると思える西洋のスポーツだが、両者のこの言葉はとても興味深い

 

個人競技、団体競技を問わずすべての競技に必要な技能は、個人の努力のみで身につくものではない。もちろんこれはスポーツに限ったことではないが、指導者やチームメイト、ライバルなど他の人間との関係性があってはじめて自分の成長がある。

 

武道ももちろん同じである。単に相手を倒すだけのための技術であったはずの武術は、その歴史の中で、剣術が剣道へ、柔術が柔道へというように「術」が「道」に昇華してきた。これは西洋の騎士道も同じである。

 

武道家として修得しなければならない大切なものは多々あるが、その基本であり第一歩でもある「挨拶」と「返事」ができないものに成長はない。

これは直接相手に対面した場合はもちろん、現代社会での主たるコミュニケーションツールのメールやSNSなど相手と直接対面していない場合も同様である。

 

心からの「挨拶」と「返事」には、他者に対する尊敬の念があり、相手を理解しようとする謙虚さがあり、他者の気持ちを推し量る洞察力があり、人間同士の関係性を円滑に進めていくための包容力がある。

心無い、形だけの「挨拶」や「返事」をおこなうものは、相手のことを考えずにただむやみやたらに自分の考えだけを振り回すこととなる。

戦いという技術の面で具体的に言うなら、相手の心や体の動きを一切考慮せずに自分の攻撃を繰り出し、自分自身に無理、無駄、隙が生じ、結局は相手に打ち負かされてしまうということである。

 

日大アメリカンフットボール部は、自分が成長するために必要な相手のことなど歯牙にもかけず、ただ我のみが勝つことを追求していったのだろう。その結果、あまりにも狭視野となり、本来味方同士であるはずの指導者と選手とのコミュニケーションも失われ、大きな負けを手にすることになった。

日大側の記者会見での司会者も同様である。自分の都合だけを優先し、相手の意図をくみ取る能力と、そのことにより引き起こされる結果を想像する能力が完全に欠如している

上意下達だけが存在する組織には、相互理解というものは存在しえない。

 

誠流武会でひとりよがりの「挨拶」や「返事」をおこなう者が黒帯になることはない。