2012.05.21

稽古について考える その二

前回、道場稽古ができなくても武道家としてあり続けることは可能だと書いたが、ここではその中でも特に技術的な面での武の追求、一人稽古について考えてみよう。

一般的に格闘技の世界では、さまざまな人と一緒に稽古を行なうことで自分の技術を高め強くなっていくことができるということが一つの常識になっている。
言いかえれば「一人稽古では強くなれない。強くなるのに限界がある」ということである。
また自分より強い者と競い合うことにより、自分の能力がアップしていくとも言われている。
競技人口が多い方がレベルがアップするという考え方はそこから生まれたものである。
確かに競技格闘技の世界はそうなのかもしれないが、あながちそうとばかりも言えない。

実際、心体育道の創始者・廣原誠先生がロサンゼルスで指導をされていた頃、「まわりがあまり強くもない弟子たちばかりでは自分自身の稽古にならなくて、日本にいた頃のように強くなり続けることは無理なのではないか?むしろ弱くなっていくのではないか?」といった声を、日本で聞くことがたびたびあった。そのたびに私は「いえいえ、以前とは全く違った方向に技が進化し、より強くなっていますよ」と答えていたのだが、それは現在の廣原先生をご覧になれば一目瞭然だろう。

では具体的にはどのような一人稽古を行なえば良いのだろうか?
正拳突き千本、回し蹴り千本、腕立て伏せ千回、腹筋千回、サンドバック3時間、ウエイトトレーニングでパワーアップなどを繰り返せば良いのであろうか?
そのような稽古をただ繰り返しても、「正拳突きや回し蹴りが疲れることなく出し続けることができる力持ち」になれるだけで、武道の技術を高めていくことはできない。

一人稽古の方法といってもいろいろあるだろうが、最も大切なことの一つは「考えること」である。
ひとつの動きを行なうたびに、どう動けば最も効果的に相手にダメージを与えられるかを考えるのである。
むろんこの場合のダメージとは試合などを想定したものではない。せっかく有利な位置を取りながら、そこからハイキックなどを蹴りこんだのでは意味がない。
自分の体力を使わず、自分のバランスを崩さず、自分を常に有利な位置に置いたまま相手に最小限の動きで、最大限の効果を与えられる技を考えるのである。

そのためには常に想像力を働かせなければならない。相手の向き、足の位置、手の位置を想像しながら一人稽古を行なう。そして一つの技を繰り返し行うのである。この時、決して想像の中の相手を見失ってはいけない。見失うようなら稽古の速度を落とせば良い。そして徐々に速度を速め、どんな状況にも対処できるよう自分を訓練するのである。

考えながら技を繰り返し行い、最後には何も考えなくても技が出せるようになるまで続けるのである。

まずは心体育道の基本第一式~五式や、受けの基本、投げの基本、型などをベースに、相手を常に見失わないように想像しながら、繰り返し稽古することから始めてもいいかもしれない。