2012.02.19

ゴール

前回、「見えない先のゴール」と書いたが、実は武道にはゴールは存在しない。

格闘技などの競技スポーツであれば、試合での勝利という形での到達点があるが、護身武道では倒すべき相手が存在していない。同じルールの下、同じ条件で競い合う格闘技と違い、護身武道では「負けない」ということが唯一の目標である。

日々研鑽し、自身の技を比べる相手などいない。しいて言えば昨日の自分がそれである。もし仮に最強というものがあり、そこに自分自身が到達できたとしてもそこはゴールではない。到達した瞬間にその自分は過去の自分となり、現在の自分はさらなる進歩を追い求める。そこにはさらなる可能性があるからである。

極めたと思ったとたんそれよりもさらに高いものが視線の先に現れてくる。極めるということ自体が不可能なのである。

心体育道ではそれを「無極」と呼ぶ。

山であれば頂上を極めることはできる。ただし極めた後は下るしかない。極めることのできないものを追い続けるという行為は、膨張を続けている宇宙にも似ている。

宇宙には無限の時があるが、人間は個人としてみれば有限の生き物である。決してたどり着くことのないものを追いつづけることそのものが武道なのである。

現代社会に生きる私たちはついつい結果を求めてしまう。武道でいえば帯の色などがそうである。しかし強さというものは結局は相対的なものである。存在しない絶対的なものをただ追い続けることのいかに難しいことか。

それゆえいろんな理由をつけて道場から離れていくことになる。体力がなくなったから。仕事が忙しいから。年をとったから。理由はいろいろである。

武道は続けなければ意味がない。引退のあるスポーツとは違うのである。

誤解を恐れずに言うならば、強くなることが武道ではない。

稽古するというその行為自体が武道なのである。